今や歌が上手い女優として大ブレイクを果たした新妻聖子さん。

 

今やスポットライトが当たる新妻聖子さんもそこに行くまでの

道のりは一歩踏み出す勇気が必要だったということ。

壮絶な過去があったようです。

 

今回は自慢の英語力も披露されています。

個人的に大好きな女優さんなのでたくさんの方に知っていただきたいです♪

スポンサードリンク



新妻聖子は在日で英語がペラペラ?自慢の英語力はどこで身につけた?

 

 

実は新妻聖子さんは英語がペラペラなので在日なのか?

と思われた方も多いと思うのですが実は在日ではなく

彼女は帰国子女です。

両親共々日本人で、10歳までは日本で暮らしております。

 

父の仕事の都合上で家族でタイのバンコクへ。

11歳から17歳までバンコクで生活されていますが、

大学入学と同時に日本に帰国されています。

 

父がタイに行くときに日本語学校に通い日本語を学ぶのも勉強になるけど、

せっかくなら冒険してみようと!と父からの提案で

インターナショナルスクール通うことになります。

 

最初は嫌だったみたいですが、今では入学して本当によかったと

ここで学んだことがいまの私に繋がっていると思えるほどの場所になりました。

 

新妻聖子さん、曰く

価値のある場所ほど行く前は怖い。

とおっしゃっています。価値がるからこそ、一歩踏み出す勇気が怖い。

だけど踏み出したら、そこから広がる世界は本当に素晴らしいと語ってらっしゃいます。

 

インターナショナルスクールなので英語が母国語ではない生徒のクラスだったそうです。

10カ国以上の子供たちがいて、習慣や性格、価値観が違ってもそれが当たり前でケンカにならなかったという。

コミュニケーションがとても鍛えられそうですね!

 

ここで培われた英語が今のい生きているんだそうですよ!

 

こちらがその時の動画です。↓かっこいいですね。

スポンサードリンク



 

新妻聖子の歌手への壮絶な道のり

 

 

初めて行ったカラオケはバンコクのカラオケだったそう。

歌が大好きだった新妻聖子さん。自然と歌手志望になり日本へ帰国。

 

たくさんのオーディションを受け、曲も作り、新妻さん自身も歌手に

なれると思い込んでいた時に事務所から言われた言葉が…

「どこのレコード会社も君をいらないと言っている、だからデビューは出来ない」

 

と。新妻聖子は唖然。。。。

あなたはいらないなんて生まれて初めて言われた新妻さんは布団を深くまでかぶり大泣き。

歌を無くしたら私は何をしたらいいの?悩み苦しみます。

 

そこから1年。就職を考えた時期もあったみたいです。

そんな時、王様のブランチのグルメリポーターをやらないと声をかけられます。

 

歌手志望だったので、グルメリポーターをしているイメージがわきませんでした。

え、グルメリポーター!?

 

 

・就職はするが歌手へはなれない。

・タレントになり、いつしか歌手になる。

 

新妻さんは1%の可能性にかけました!

・タレントになり、いつしか歌手になる。

 

 

そして、頑張っている人にはチャンスが巡ってくるのですね!

2003年に5000倍のオーディションを勝ち抜き、

ミュージカル「レ・ミゼラブル」のエポニーヌ役でデビューを果たします!

 

そこからミュージカルの世界へ飛び込んで行きます。

ミュージカル界のシンデレラガールとも呼ばれている彼女でしたが

そこまでの道のりは相当な努力だったんだのが伺えます。

 

新妻さん曰く、世界中のたった一人でもできた人がいたのなら

努力次第で私になれると思うんです!と。

 

私がとても印象に残った言葉です。

 

真のなる女優なのが伝わりますね!

今では長くミュージカル界でご活躍され、

ご結婚もされ、第一子も生まれ幸せ絶頂期ですね!

 

新妻さんが幸せだととても嬉しいです!

これからも素敵な歌声でたくさんの人を幸せてにしてくださいね!

ありがとうございました!

スポンサードリンク